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反省の日々

〈健気(形動)〉①かいがいしいようす。②心がけがいいようす。殊勝。

昨日の晩、財布の中にある一万円札を何気なく眺めていたら、いつもと違う事に気付いた。よくよく見ると福沢諭吉の額にたすき掛けで「DOLPHY」とスタンプが捺してある。一瞬、贋札かと疑ったが本物のようだ。何故だろう?統合失調症陽性症状ピークの時だったらパラノイアとメガロマニアで誰かの陰謀とばかり妄想を膨らましたのだろうが、多分誰かが間違って捺してしまったのだろう。今は別に何とも思っていない。しかし潜在意識に刷り込まれたのは確かなようで、今日たまたま立ち寄った中古CD店で"ERIC DOLPHY AT THE FIVE SPOT,VOL.1"を買ってしまった。今、それを聴きながらパソコンの前にいる。一万円札の記憶も相まって中々シュールな触感だ。

今日の午前中、KENYA MUSICギターの部で嬉しい事があった。ご病気で半年間お休みされていた七十過ぎの男性が久々にいらっしゃった。だいぶお痩せになっていたが、朗らかな笑顔は相変わらずでギターの音色にも張りがあった。その方が六十代後半でギターを始められた当初はあまり指が動かず、教えている私自身も正直どうしようかと思ったものだった。でもご自身が好きな曲を粘り強く練習して要領を得たからだろう、次第に苦手も克服されていく姿に私も励まされる思いであった。十代や二十代と違い、高齢者の方々は確かに忘れっぽいし体力的にも劣るけれども、KENYA MUSICにいらっしゃる方々を見ている限り、人間は死ぬまでどこかしら成長すると思う。退行していくばかりではない気がする。今よりも良くなる様にウクレレやギター、尺八を練習されているのだ。
健気な気持ち、と言うのだろうか。私もギターに対してそういう気持ちを強く持っていたい、と教えながらも自省の念に駆られるのである。
# by kenya-guitar | 2011-07-07 17:27 | 雑記 | Comments(2)

メッカ巡礼

〈儚い(形)〉①たしかでない。たよりにならない。②あわれだ。③つまらない。むなしい。

人参やキャベツの葉が青々とした畑に囲まれた幹線道路を車で走り抜ける。ラジオから流れてきたのは"you've got a friend"Calol Kingのカバー、男女混声で歌っているが誰かは判らない。病院に到着し、車を停めると女の悲鳴が聞こえてきて病棟を見上げるが、高校生の女の子達がはしゃいでいる声だった。すぐそばにある県立高校、夏服の白いシャツに浅黒い肌が映えている。節電に馴れたせいもあってか、今日はあまり暑さを感じなかった。

毎月一回の"メッカ巡礼"…病院にやって来た。薬が少なくなってきたのともう一つ、理由がある。昨夜、夢に魘されて何か譫言を叫んでいたから、と妻に勧められたのだ。どうにも消化しきれない過去の抑圧された感情、いつもの悪夢を見た記憶が朝起きた時わずかに残っていた。

二台の扇風機が静かに風を送っている待合室には、五、六人の患者が受診を待っている。水曜日は八十過ぎの先生が担当のはずだが、先月来た時には病気療養中。元気にしていらっしゃるだろうか?

持ってきた本を読みながらしばらく待っていると、私の名前が呼び出された。診察室の扉を開けるとその先生がパソコンの前に一人。お元気でしたか、挨拶の後に思わず声を掛けると、何とかやってますよ、と力の無い声で先生は呟いた。幾分、痩せたと言うよりは小さくなった印象の先生からいつもの様に体調を訊かれた私は、先生のおかげでだいぶ良くなりました、と重ねてお礼をした。一、二分くらいの短い診察だったが、先生にお会いしてお礼が言えた事に少しホッとした。

有り体な言い回しだが、人の命は儚い。出会った人との時間は有限ではあるが、永遠に感じられる事がしばしばある。人との出会いによって作用された自分がどこか変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。統合失調症陽性症状ピーク時に、もし先生に会わなかったら…考えてもしょうがない事を考えたくなる程、私にとっては有り難い出会いの一つだったのである。
# by kenya-guitar | 2011-07-06 14:36 | 雑記 | Comments(0)

幼稚園でのフリージャズ

〈人間性(名)〉人間の本性。人間らしさ。

風の強い月曜日、午前中に千葉市内にある幼稚園でソロギターを演奏した。

実は以前所属していたボランティア団体で数回、保育所で演奏した事がある。その時には、先方の要望だけの選曲…童謡だったり、テレビアニメのテーマだったりを演奏するだけの内容であった。が、しかし今回は、幼稚園の要望(童謡の伴奏)を全面的に受け入れつつも、私独自のアイデアを組み込まさせて頂いた。いつもよりも時間に余裕があったのと、子供達に普段聴かない様な音楽に触れてもらいたいという一音楽人としてのささやかな願いがあったからだ。それは言い換えるならば音楽の多様性を知ってもらいたい、つまりは多種多様な人間性の尊重という次世代を担う人達への切なる願いでもある。まぁ、それ抜きに考えたとしても、大人が心底やりたい事を噛み砕いて子供に見せて伝えた方が直接的で誠意がこもっているとも思う。

ジャズでよくやるディズニーの曲を私なりに演奏した後、先日入手したばかりのnova systemを用いてフリーフォームで演奏した。「メロディを宇宙に飛ばす」フワフワした感じで゛たなばたさま゛のテーマをモチーフにして即興演奏した後、子供達と一緒に歌った。
感想として、自分の演奏はちょっと実験的ではあったけれども、子供達は大人の一挙手一投足をよく見ている。関心深く聴いてくれているなぁ、とつくづく思った。

私の音楽を聴いてくださった子供達と保護者の皆様、小中台幼稚園の職員の皆様、どうもありがとうございました。改めて感謝申し上げます。
# by kenya-guitar | 2011-07-05 00:17 | 演奏日記 | Comments(0)

千葉の繁華街にて

〈饐える(自)〉飲食物がくさってすっぱいにおいがする。

生温く湿った空気を感じながら階段を登り、扉を開くとバンドが演奏するビートルズが聴こえてきた。空調の効いた涼しい店内、背負っていたギターを下ろすと気化熱が奪われた背中がだいぶ汗ばんでいたのが分かった。五十代だろうか、赤いアロハシャツを着た日本人の男性が白いストラトキャスターを弾きながら歌っている。その後ろにいる白髪頭の男性はレスポール。アングロサクソン系三十代くらいのドラムは機械的にエイトビートを刻み、同じくベースは音がでかい。タイ人かフィリピン人のふくよかな女性が三人、ちょっとしたステージの傍で甘そうな色のカクテルを飲んでいる。

千葉の繁華街にて_d0239615_14112649.jpg


昨夜、家族と夕食後に皿を洗い終えた私は、千葉駅近くにある外国人が集まってセッションしているBARに向かった。イギリス人の友人と会うためだ。彼とは三年半ぶり…入院前によく二人で演奏した。
カウンターに群がるお客さんをかき分け烏龍茶を頼み、煙草を吸っていると彼がやって来た。握手を交わし、私はしばらくビートルズのバンドの演奏に黙って聴き入っていた。サックスは持ってきたか、寄ってきた彼に尋ねると、もちろんだが、と即答しながらも間を置いて、何もない左手の薬指を私の目の前に突き出した。怪我でもして指が折れたのか、とじっと見入ってしまった私に、彼は片言の日本語で、リコン、ショウガナイネ。そうか、俺も酒を諦めたから楽しみは音楽だけだよ、三年以上経過して二人を取り巻く風景が変わったのを実感した。ビートルズのバンドの演奏は終わった。
「誰かギター弾いて」
泥酔した女が空いたジョッキを右手に大声で喚く。
「ケンヤ…」
彼は私に優しく微笑み、誰もいなくなったステージに促した。
轟音が止んだ店内、静かにソロギターを弾いているとサックスを持って彼はご機嫌に割り込んできた。昔、二人でよく演奏したジャズスタンダードを数曲演奏する。彼の音は野太くなった気がした。嬉しかったのは私の作った曲を覚えていてくれた事だった。

演奏した後、また会おう、熱い抱擁を交わして店を出る。深夜の繁華街の飢えた眼をした若者達、肉の脂の饐えた臭い、アンモニア臭とビル群からのムッとする排熱…海辺に近い自宅周辺で過ごす事の多い私にとって、違う世界にやって来た錯覚を覚えた。
# by kenya-guitar | 2011-07-04 14:14 | 演奏日記 | Comments(0)

メロディ

〈メロディ(名)〉旋律。ふし。メロデー。

昼食を食べる気が起きないくらい暑い一日だ。ベランダで栽培している山椒の鉢植えを日陰に移してやった。近所の花屋で買って一ヶ月半程だが、太陽の光を浴びて以前より緑が濃くなっている様に思える。DUMISANI MARAIRE & EPHAT MUJURU"SHONA SPIRIT"を聴きながらパソコンに向かっていると、隣の机で宿題をやっている小二の息子が珍しげに覗き込んできた。ジンバブエのンビーラ(親指ピアノ、カリンバ)の巨匠二人の共演。よく注意しているとポリリズム、複合リズムが聴こえてくる。それがうねっている上で牧歌的な旋律で歌っているのが気持ち良い。

ところで最近、ギターをこういう風にサウンドさせられないかと試行錯誤している。ギターをカリンバの様に弾きたいのだ…と、先日行った西船橋のJAZZ BARのマスターに話したところ「こうやって弾く人いるよね?」と言って、ギターを膝の上に寝かしてペダルスチールギターを弾くようにして私に見せた。どうやら私の言い方が語弊を生じさせるようだ。そうではなく、普通にギターを抱えて弾いた上で、純粋にサウンドからそう聴こえるようにして音楽を創り出せないか、と色々試しているのだ。元はと言うと、バークリーに行った私の友人のギタリスト、その級友のアフリカ出身のギタリストが同じようなやり方でギターを弾いていたのを何かで聴いた時に思いついた。その時期が私がちょうど統合失調症陽性症状ピーク時、精神病院の二十四時間監視カメラ付きの特別室にギターを持ち込み、メモを取りながらアイデアを練り上げた。が、その後の陰性症状(鬱)が重い期間、ギターに触れてそのアイデアを検証していく機会を持たなかった。
インプロヴィゼイション・ミュージック、即興音楽とは瞬間的な作曲であると幾度となく学んだ。それに対して色々な方法論があって…要するに『自分なりのメロディをどう創っていくか』に他ならない。"メロディ"とは何だろう?人はランダムにある音列の何に対して"メロディ"を感じるのだろうか?"メロディアス"な音楽…ある人は桑田佳祐だったり、またある人はショスタコビッチだったり、人によって全く違う。千人いれば千人分のメロディがある。

そのカリンバ的な音楽…多分、もうすぐ出来上がると思うので楽しみにしていてください。私なりのメロディです。
# by kenya-guitar | 2011-07-03 14:54 | ギター | Comments(0)


ギタリスト鈴木健也の雑記帳


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