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ある老婆の独白

〈シャンソン(名)〉フランスの歌謡曲。

眼球に鋭かった西陽が和らいできた夕時、私は一人ボォッと近所のコンビニ前で煙草を燻らせていた。今日発売の少年漫画誌を息子に頼まれて自宅を出てきたのだ。先ほどより陰影を深くしてオレンジ色に染まり始めた雲、土曜日のその日は文化祭だったそうで、近くにある県立高校からは高校生達が軽やかな足取りで駅の方へと向かって行く。片側二車線の広めのメインストリート、コンビニの向こう側の歩道には゛犬のおじさん゛が犬を連れて散歩していた。いつものように野球帽を被り、膝までの丈の半ズボンからは日焼けしていない細い脚を覗かせている。
「上戸彩が結婚したんですよね?」
突然、そこの若い店長が人懐こい笑顔で私に話しかけてきた。あ、そうなんだ、返答としては素っ気ないとは思ったが、彼に応える私。知ってはいたが、そのニュースを聞いて特にこれと言って感情は湧かなかった。道の向こう側の゛犬のおじさん゛は犬に向かって何か怒鳴り始めながら立ち止まっていた。また一人になって、大きな一面ガラスの縁に座る私。西陽はまだ眩しい。

ふと顔を上げると、杖を突いた老婆が立っていた。
「あなた…いつも見かけるけど、何か楽器を弾いてるでしょ?」
眼鏡越しの眼差しは西陽に照らされながらもはっきり私に向かっていた。えぇ、戸惑いながらも私は聞き返した。どちらの方、でしょうか…。三メートル程先のアスファルトの歩道で、その老婆はたどたどしくもゆったりと話し始めた。
「アタシはねぇ、ついそこの通りの右っ手に住んでるんだけど、もう76でねぇ…あなたの事はよく見かけるんですよぉ。いつも何だか大きな楽器を抱えて歩いてるでしょ?何か音楽が好きか、ですって?そりゃあねぇ、アタシも向島の芸者街の出だからちっちゃい頃から芸事は仕込まれたのよぉ。お茶やったりねぇ、お花やったり…でも一番好きだったのはシャンソンよ。そりゃあそうですよぉ。アタシの若い時にゃ、銀座に銀巴里とかシャンソンの店があってねぇ…色々な楽団の人がいたんですよぉ。一人、ピアノの男の人がいて惚れちゃってねぇ…北陸まで駆け落ちまでしたんだけどねぇ。浮気されてね。結局、今の主人と結婚しちゃったんですけどねぇ。まぁ、先に逝かれちゃったけど家だけは残してくれてねぇ…今、思うとアタシ一人残されて何だかねぇ。息子?アタシの息子ですかぁ?いやだぁ、引きこもりですよぉ。四十超えて引きこもりなんですよぉ…む・しょ・く。何とかしてくださいよぉ」
五分以上私の前、その老婆は杖を突いたまま話していただろうか。座ったままの私に対して、老婆に杖を突いて直立させたままにさせるのに気付くと罪悪感すら湧くのに混じり、多少の煩わしさを感じてきた。ふと振り向くと高校生の男の子二人がコンビニに入って行く。まだ夏服、アイスキャンディでも頬張るつもりだろう。一日中誰と話すでも無く自宅にいるだろう老婆は、コンビニの店長以上に人懐こく私に話そうとする。が、しかし、何を買いに来たんですか、と私は老婆にコンビニに来ようとした動機を暗に促した。
「そうそう…ゴミ袋を切らしてねぇ…」
まるでラジコンがリモートコントロールで動かされるかの様に店に吸い込まれて行く老婆。

店内からはヒット曲の軽薄なメロディとリズムに操られる様に、店員と男子高校生、そしてその老婆の話し声が笑い声に混じり漏れ聞こえてくる。

「それじゃあおばあちゃん、気をつけて帰ってね!」
暫くすると高校生と老婆がコンビニから出てきた。いつの間にか仲良くなっている。ちょっと、と老婆は勿体ぶった素振りで男子高校生二人を引き寄せた。真剣な眼差し、必然的に声は大きく力が籠る。
「童貞とヴァージンじゃないと、長続きする良い結婚生活は送れないのよ!童貞とヴァージンじゃないと…」
いきなり何を言い出すか、と動揺する男子高校生の二人。夕方のジョギング、すれ違った若い夫婦はお互い目を合わせて苦笑しながら私の前を通り過ぎて行った。
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by kenya-guitar | 2012-09-16 18:45 | 雑記 | Comments(0)

鉛の味…

〈沸き立つ(自)〉①わいて、(湯が)煮え立つ。②(雲などが)むくむく起こる。③(心が)強く興奮する。

「文章から音楽が聴こえてきたんだ…初めてそう思えたのがこれだったんだよ。それが純文学なんだなぁ、って。読んでみな…」

半年前に亡くなった知人から勧められた小説を古本で買って読んだのは、生前だった。五感を刺激する、とでも言うのか。私の中では良い文章を読んだ時に沸き起こる現象だ。何処で見た風景だったり、メロディだったり、あるいは何かの匂い(臭い)だったり。降ってくる様に、またはぐらぐら煮立つ様に、雑踏で見知らぬ誰かに擦り付けられた様に…それらが色々な様相で沸き立つ。

何故そんな話になるかと言うと、最近ハマっているある作家の小説を読んでいると血の味を彷彿とさせるのだ。それは例えば、成金趣味の美食家が料理屋で飲むスッポンの生き血赤ワイン割りだとか、場外馬券売り場の横丁の焼き鳥屋で味わう生焼けのレバーの味だとか…そんな生易しいものでは無い。
その作家が読者に味わってもらいたいのはきっと、顔を足で踏みつけられて悔し涙を鼻で飲みながら味わされている、歯茎から出ている血の味だと思う。アスファルトのタールのキツい臭いが混ざった味。屈辱の味だ。

十年以上前、銀座のCD屋でバイトしていた時にその先生がお客さんとしてやって来た。アーティストまでは憶えていないのだが、ジャズのCDを三、四万円相当購入したのを私が接客した。今、プロフィールを見ると多分、当時で四十代半ばだったのだが、着流しを纏った年齢不詳の容姿…それともう一つ印象的だった事がある。総入れ歯の人特有の口をもごもごさせる仕草。
小説家の記述する何処までが実際に経験した事で、何処からがフィクションか…読者は気になる。しかし、銀座のCD屋でお会いした何年か後に先生の自宅玄関に発砲された(弾を撃ち込まれた)記事を新聞で読んだのを思い出して、唸る私だった。
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by kenya-guitar | 2012-09-09 18:29 | 雑記 | Comments(0)

飛燕に思う

〈営巣(名・自)〉鳥などが巣をつくること。

夕飯の買い物に行ったショッピングセンター、自転車で帰ろうかという時に小雨が降ってきた。これくらいなら大丈夫だろ、我が家まで五分とかからない、そう思っていると少し降りが強まった。仕方ない、煙草を一服やってやり過ごすか、と私は軒下のベンチに腰掛けた。煙草の煙が拡散するのを目で追うと、十五羽くらいのツバメたちがショッピングセンターの一階天井辺りの高さでぐるぐると周遊するように飛んでいた。そのショッピングセンターに巣を作って育てられていたヒナのツバメたちも大きくなったのだ。

思えば五月くらいに近所のコンビニの軒下、ビニル看板にせっせと営巣していた夫婦ツバメがいた。何処からか湿った泥と枯草を運んできてはそのビニル布に貼り付けようとするのだが、泥が乾いた途端に剥がれ落ちてしまっていた。無駄な営みだと思えないのだろうか、何日も何日も同じ作業を繰り返す二羽のツバメ。それとはまた別に、その建物の二階にある通気口にはムクドリがちゃっかり営巣していた。作りかけの巣が落ちても落ちても二、三週間は諦めずに同じ作業を繰り返すツバメ、段々と痩せ細っていった。一方のムクドリは人間の作った構造物を抜け目無く利用してヒナまで出来ている。
「あぁぁ…また落っこちちゃって…可哀想ねぇ、どうにかしてやれないのかしら」
お客さんが居なくなると、軒先に出てツバメの様子を気にするコンビニの昼のパートのオバチャン達。ツバメ夫婦に同情的であった。
が、しかし、ムクドリの営巣に気付いた二階の家主は通気口を塞いでしまう。糞害も酷く、鳴き声もうるさいのだ。もちろん、ムクドリ達は何処かへ…。
そして、いつしかツバメの夫婦も…。

ショッピングセンターの軒下から見るツバメ達は無事にヒナも育ち、これから何処遠くへ渡って行く喜びに沸き返っている様にまるで見えた。コンビニの軒下の夫婦ツバメはどうしているのだろうか、ふと思い出しながら、生きる困難さと喜びを感じていた雨の夕方だった。
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by kenya-guitar | 2012-09-05 15:20 | 雑記 | Comments(2)

愛犬家

〈汚点(名)〉①きたないところ。よごれ。②不名誉。きず。

すっかり秋めいてきた夜遅く、私は近所のコンビニ前で友人と二人で煙草を燻らし話していた。他愛ない世間話。彼はそのコンビニの裏手に住む大学を卒業したばかりの社会人一年生の男。浪人して留年して、で、ちょうど私の一回り下だ。
人通りも疎らになってきた0:30過ぎの事だった。プードルだろうか、真っ白な小型犬が我々が座る目の前にとことことやって来た。首輪に鈴をぶら下げている。見覚えのある犬、私は即座に飼い主である六十後半だろう女を連想していた。その女、そのコンビニのすぐ隣に住み、コンビニが出来た当初から派手な看板を掲示してコンビニ反対運動を展開していた。その名残か、市議会議員の看板を掲げている。

話は逸れるが以前、私が水道工事会社でアルバイトをしていた頃に色々な現場に行った。その頃に教わった事、反対運動と市議会議員の看板がある家の周り近所はトラブルが潜在している場合が多く、工事に病的なクレームが付き易い。

そのプードルの飼い主の女も、きつい目付きでどことなく病的な雰囲気だった。
「あの犬が現れると、何が起きるのか知ってる?」
隣に座る友人に訊いてみた。あの犬の飼い主はコンビニの隣に住む女なのは分かるよな、という意味である。友人は即答した。
「あぁぁ…ウンコだらけになるんですよ」
えっ、何を言い出すんだ、と思う間もなくプードルが我々の目の前に尻を突き出した。大きく開脚して、むにむにむにむに…肛門の茶色がみるみる大きくなった、と思ったら長い糞を落として首を震わせる。チリンチリン、任務完了とばかりに首輪の鈴が鳴った。そして二メートルくらい離れたアスファルトの上でも同じ動作を繰り返す。あぁぁ、と我々二人は呆気に取られ眺めている間、三十秒程で三ヶ所の汚点が付いた。人通りのあるコンビニの前にだ。
「それで、そのまま片付けないんですよ…あのババア」
友人は力無く呟く。近所では有名らしい。
私は立ち上がって、コンビニの隣、女の家を見ると、女はショッキングピンクのTシャツに短い丈のジャージでサンダル履きで突っ立っていた。゛技を仕込んだ飼い犬゛が任務を遂行しているのを見守っていたのだ。夜遅い時間だったが私は大きな声を上げた。
「お宅の犬が糞しましたよ。片付けないんですか?」
すると女は何も言わず、気味悪いくらいににんまりと笑った。この上なく満足のいく出来、私の犬を早く褒めてやりたい、そんな感じだ。片付けないんですか、私は同じ言葉を三度繰り返したが女は黙って笑ったまま、犬を連れて家に戻ってしまった。

チリンチリン、コンビニの前には犬が鳴らした鈴の音が。そして振り向くと汚点が三つ残った。
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by kenya-guitar | 2012-09-02 14:49 | 雑記 | Comments(0)

生命の誕生

〈蠕動(名・自)〉消化のときに起こる、胃腸の運動。だどう。

我が家の庭にあるコンポスト、夏は生ごみを放っておくと臭いが部屋にこもって気になるため、魚の内臓や骨などはそのコンポストに入れる。市で回収するゴミの減量にもなるし、蓋をして放っておけば肥料にもなる。その日、夕方に家庭用の小型精米器を使って精米した後、ゴミとして出た米糠をコンポストへ持って行った。何でもやり始めると楽しくなるものだ。
薄暗い夕暮れ時、緑色のコンポストの蓋を手探りで開けると微かに音がした。カサカサ、何かが動いている気配を感じる。素早く動く黒い影、油に濡れた物体が光って見えるのはゴキブリだ。しかし、他に何か蠢いている。その音源を耳と眼を凝らして追っていくと、積まれた腐葉土の上に乗った魚が動いている様に見えた。鯵、か?いや、間違いなく鯵だった。私は思わず蓋を閉めた。
玄関に置いてある懐中電灯を手にコンポストの前に戻ってきた私はもう一度蓋を開けて土の上を照らしてみた。さっき動いている鯵、その周りにびっしりと蛆がたかっていた。四方八方に思いのままにのたうち回る数十匹の蛆たち、それ自体が意思を持ち蠕動する一つの生物に見える。少し茶色がかったクリーム色の生物。暫く見とれた私は、持っていたビニール袋に入った米糠をその上に山盛りにして蓋を閉める。

台所に戻ると妻が天ぷら鍋でフライドポテトを揚げている。コンポストの中に何か棄てたか訊くと、あぁぁ、今朝ね、鯵の干物が残ったから骨と頭を棄てたのよ。妻が答えた。ガスコンロではじゃが芋のスティックがこんがりとした薄茶色で、ピチピチと泡音を発てながら天ぷら鍋の中を思い思いに動き回る。妻がそれを菜箸でかき混ぜていた。朝、廃棄したそれがもうあの状態か、生命の力ってすごいよね、呟く私。フライドポテトを鍋から一本摘んだ妻は、何のことやら、と言った様子で一口頬張っていた。
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by kenya-guitar | 2012-09-01 16:16 | 雑記 | Comments(0)


ギタリスト鈴木健也の雑記帳


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