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カテゴリ:演奏日記( 44 )

紫陽花、雨…


 雨降りしきる先週末、私自身の演奏も続いた。金曜日は千葉みなとveicolo、当初はソロギターの予定だったが、24才から付き合いのあるギタリスト田中真理さんとのデュオに急遽変更と相成った。バークリー音楽大学にも行った真理さんには、色々と教えてもらったり、の仲。我が家にも何度も遊びに来てくれた。ジャズスタンダードや自由即興に加えて、真理さんの作った曲を演奏した。昔と変わらず、二人でげらげら笑いながら車に乗って演奏場所へ、それでも演奏する時は二人とも真剣で、終えてから、またげらげら笑いながら帰ってくる。そして生じた自分自身の課題に再び取り組んで…再生産に努める。ふと立ち止まって振り返り、我々は成長しているのだろうか、と考えるのだが。「成長してないことはないでしょ」と呟いたり。
 雨がしとしと降っていたが、良い夜だった。

 土曜日は樹木の間を抜けた清冽な空気が味わえる場所、市原市潤井戸canonでソロギター。到着して機材を揃えるや、お店の方々が作った広めの東屋へ。勝手に「コテージ」と呼んでいるが、人に貸しているでもなく、普段はお店の方々が作る木工の作業場になっている。古木がそびえ、竹藪が囲み、木の粉や、薪、灰の香りがするその場所でギターを一人で弾いていると雑念が消える、と言うか。バロック音楽が好きなマスターのお話もすごく勉強になる。音楽人類学、と言うのだろうか、長い歴史の中でクラシック音楽が醸成される過程を教えて頂いた。
 その夜、演奏を終えるとそのマスターから、明日(日曜日)も他の方が演奏するから来ないか、と誘われた。特に用事もなかったため、近所のロッパ先生(30)と二人で。初対面だったが、オルガンの林さんとジャムセッションした。

 古い言葉かもしれないが、ふれあい、と言うのだろう。音楽をやっていると、様々な方にお会いする。これ自体、有り難いことだ。

 私の演奏を聴いて頂いた方々、どうもありがとうございました。
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by kenya-guitar | 2015-07-06 11:24 | 演奏日記 | Comments(0)

楽譜のやさしい読み方…

 今、このblogを書いているのは夜中3:00。昨日5/27(水)の日中、知人宅でのギター演奏の後で、千葉駅界隈から少し離れたある障碍者施設を伺った。そこに通う彼ら、彼女らは、パステルやボールペン、水彩などを使って日がな絵を描いたり、牛乳パックを再生紙にしたり、織物をしたり…一日中、アートのために生きる。つまりは365日、アートのために生きる。素晴らしい絵を各々、思い思いに制作し続ける。ただ素晴らしい。それら作品群がポストカードになったのを、分けて頂きたく伺ったのだが、思いがけず演奏する運びになった。ダウン症、自閉症の方々、その営みを支えている職員の方々に自分の演奏をただ捧げた。

 遡って、先週5/23(土)。錦糸町で催された「東京ハンドクラフトギターフェスティヴァル 2015」にウズベキスタンのギタリストと彼の息子(6)、三人で行ってみた。私の使わさせて頂いているギター、沖田ギター工房の出展があったからだ。昨日、件の障碍者施設で弾いたギターを抱えて伺った。ウズベキスタンの彼とセッションしたり、色んな方々と沖田さんのギターを通じてお知り合いになったり…。

 今、手元にあるのは「誰にでもわかる 楽譜のやさしい読み方」という、薄い本。シンコーミュージック、1992.2.6初版、ロジャー・エヴァンス著。「ヨーロッパで、アメリカで、日本で、そして世界中で通じる言葉。それは音楽です。音楽に国境はありません」冒頭に書かれている。
 それをそもそも信じて生きているのは、そう考えながらギターを抱える私の演奏を聴いてくださった方々なんだろう…その想いをただ受け止めながら自分自身が生きれば良い、そう感じた。

 しばらく、人前で演奏する機会をあまり作らなかったが、来月からボランティア以外の演奏活動もなるべく積極的に再始動させたい。




 
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by kenya-guitar | 2015-05-28 03:44 | 演奏日記 | Comments(0)

不思議な一週間

 先週の三日間、諏訪にいた。近所のロッパ先生(30)が「おばあちゃんの住む町に…」と、連れて行ってくれた。運転手は私、彼は免許証を持っていないから。私の中で目的は色々…ただ、彼の伯父さまがALS(筋ジストロフィー)で寝たきり。おばあちゃま(89)も含めて、伯母さまが身の回りのお世話をなさっている。そのため、皆さんにギターを聴いて頂きに伺った。
 長時間の運転、諏訪の透きとおった空気と水、博物館などを見学した後の訪問で…正直、自分の足の臭さが人様の家で失礼ではないか、と気になったが、なんとかギターを弾ききった。

 その次の日、千葉市にある病院のデイサーヴィスでも演奏させて頂いた。前回は車椅子のお年寄りの方ばかり40人、今回はもっと。私一人、普段の演奏でやっている内容と同じ、プラス皆さんの発声練習と歌の伴奏。合間に私がM.C.を挟んで、楽しんで頂けた、と思う。義父と家族と同居して13年間、ボランティア演奏をして十年くらい。それもギターを弾くための勉強なんだろう、と思った。

 今日は今日で、網戸の張り替えと庭の手入れ、風呂掃除やって…ご近所の方々と話したり。私の住むペンギン村も、埋め立てて40年くらいか。一人住まいのお年寄りも多い。
 その後、隣町に住むドイツの方(60代半ば)とギター弾いて。

 先日、和太鼓奏者の林英哲さんの演奏する後ろ姿を拝見して、音楽人として生きるとは何たるか、を学んだ気がした。
 小さい頃、山登りした経験が何度もあるのだが、結構しんどい。どれだけ山の高みに行けるのか…諏訪湖を囲む山々の景色、峠に生い茂る樹木を思い出しながら、色々想うところがあった。

 HIDAKAのマスター、reverSのリョウさん、いつもこんな私で申し訳ありません。そして、私のギターを聴いて頂いた方々、本当にありがとうございました。
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by kenya-guitar | 2015-05-18 00:39 | 演奏日記 | Comments(0)

ある五月の晴れた日に

 ここのところ、歩いていたり車を走らせたりしていると花がきれいに咲いているのが否応なし、視界に飛び込んでくる。白も薄紅もハナミズキ、サツキ、ツツジ、タンポポは綿毛で、桜の実は徐々に膨らむ。フジもジャスミンも香りが鮮烈で、雑木林の高い枝に纏わりつく蔓からきらびやかに下がる花を眺めては溜息をつく。アジサイの葉っぱも青々としている。植物に生命の躍動感を感じる季節で、アスファルトの隙間から咲いている名も知らない花もそれぞれ輝いているのがただ嬉しい。

 ところで、千葉駅界隈にあるお花屋さんで今月からギターを教えることになった。リトルブーケは千葉そごうから片側二車線の大通りを挟み、市立新宿小学校寄りにある。我が家の近所に住むロッパ先生(30)と二人、昼過ぎに到着。洒落た洋食店が並ぶ周辺の路を行き交う人達は、GW中の晴れた土曜日もあってかどこかリラックスしていて…私がギターを教えている最中に、ロッパ先生はその人波に乗ってどこかに消えた。

 その後、再びロッパ先生と合流した私は市原市にある古民家レストランCANONに向かう。二百年前、江戸時代末期に立てられた古民家を改装したレストラン。16:00過ぎに到着後、皆さんにご挨拶してから車の窓を全開にして運転席で昼寝した…内緒だが。海沿いのペンギン村と違って、潮の香りのしない乾いた風が心地よい。
 アコースティックとエレクトリック、それぞれ使ってsolo guitar での演奏。二人の弟たち(私は三人兄弟で「惣領の人禄」)、彼らの子供たち(姪と甥)が来てくれた。弟たちが私の演奏を聴いてくれるのは何年振りだろう。しかも姪と甥も連れて…五月でMay(姪)だから来てくれたのだろうか、と、また考え込んでいると「おい!(甥)」などと弟たちから言われるのではないかと。
 ペンギン村の大先輩、ハープのフランク師匠も来てくださって、とにかく私の周りで五月の花々が咲いてくれた。

 予想通りの出来事、お店の裏手の竹藪でタケノコがにょきにょき。想定外だったのは、お店前にある背の高い梨の樹に毛虫がやや付いていた…。

 ここのお店は、パンもケーキもハム・ベーコンも食事も、何から何まで手作りで…必然的に人力・マンパワーが重要になる。だから、常時十人近くが厨房とサービスで働いていらっしゃる。人間はもちろん、其々によって出来る出来ないがあるから、そこから生まれてくる「健気さ」が重要になる、と思う。それ自体、美しく咲く花と同じだ。それを想って、ただ演奏した。
 21:00過ぎ、演奏後に外で煙草を吸っていると近くの水田から蛙の大合唱…水を引いて、田植えも終わったのだろう。月も綺麗だった。


 今日、音楽を通して私と接して頂いた方々、どうもありがとうございました。次回は6/6(土)…よろしければ、お越しください。
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by kenya-guitar | 2015-05-03 02:01 | 演奏日記 | Comments(0)

久々にしたライヴ

 今夜、千葉県市原市にあるCANONというお店で、演奏させて頂いた。大震災後に一念発起して作曲・演奏活動を本格的(?)に再開して以来、四年ぶりになる。タイトルは『SOLO ~songs for sorrows~』にした。
 前半はカッタウェイのクラシックギターで、約二百年前のクラシック・エチュードから始めて、完全即興と有名な日本の曲。後半は、ES-175(ジャズでよく使われるエレクトリックギター)でジャズのスタンダードばかり、そして自作曲。プログラムを全く決めずに思うがままに…。

 このお店は、約二百年前の藁葺き屋根の古民家に手を加えて作られた、木造のレストラン。自然で柔らかい残響音が特徴。弦楽器のボディを「共鳴胴」と言うのだが、その中でギターを弾くと言う…ギターのマトリョーシカ人形状態。竹藪と、銀杏の太い古木に囲まれた、私にとっては心和らぐ場所。

 店先に、今にも開きそうな蕾をたわわにつけた、ソメイヨシノに似た背の高い木を見つけた。増築したスペース、屋根の隙間に四十雀が営巣している様子。つがいで飛び回っているのを、到着した夕方の時間に気付いた。あの木は何でしょうか、マスターに訊ねると「ああ、あれね…なし」と返され、一瞬戸惑う。「梨」の樹だ。
 実は、隔離病棟から出て、市川にある梨農家のお手伝いをさせて頂いた時期があった。よく見る梨の木のほとんどは、果実を収穫する効率上、枝が棚に這うように剪定されていて背丈が低い。あんなに背の高い梨の樹を見たのは産まれて初めてで感動した。

 隔離病棟から出て、鬱々と過ごした日々。大震災後に演奏を再開して、再び思い悩んだ日々。そして、久々の演奏…ボランティア演奏以外の。「私は音楽でしか人を支えられない」という思いは、実は束の間の安堵でしかなく、そしてまた悩むのだろう。
 「人間は結局、苦悩を見つめることでしか、苦悩を乗り越えられない」…ある方の言葉だが、苦悩する事が人間の人生そのものなのだろう。演奏後、すぐ今にでも咲きそうな梨の花を見上げて思った。


 今日、私の演奏を聴いてくださった方々、ありがとうございました。次回は、同じ場所で5/2(土)に演奏しますので是非お越しください。今日と同じくチップ制です。
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by kenya-guitar | 2015-04-04 23:52 | 演奏日記 | Comments(0)

ママの憂うつ アンコール(5)

〈共感(名・自)〉同じ気持ちを感じること。

盛大な拍手の中、挨拶を終え、ステージから袖にある倉庫に戻る。

その途中、見えた景色。アタシなんで泣いてるのか分からない、ハンドタオル片手に笑いながら泣いている方がいた。アイシャドウが微かにぼやけている。ママ友、だろうか隣のお母さんがそのお母さんの肩に優しく手を添えている。頬を伝う涙も自然に乾いて、取り戻した本来の感情。きっとお母さん達も自信を取り戻してくれたと思う。これで良かったのかな…がっちりとした手応えを掴んだ、とも私は思っていなかった。
ただ、自分達の作った曲を演奏した後で広がっている世界の一部を感じた。それは有名になった、とか大金が手に入った、とかSNSやって友達が増えた、とか…目に見える何かを得た、という訳ではなく。聴いてくれている方々の感情に寄り添って差し上げられた、今にして思うのはそういう事だ。聴いてくれた方々と更なるハーモニーを産み出す。音楽して共感を得る原点、だと思う。

「はぁぁ…疲れた。久々に演奏にエネルギー使ったわ…」
「健也君、お疲れ!良かったよね?」

狭い倉庫の中に戻った我々三人。思わず漏れ出た私の言葉に応じるS太。C君も満足そうだ。私は肩で息をする。

「しかしS太…お前、女泣かせだなぁ。お前が歌ったからか、皆さん泣いてたぞ。見たろ?」

冷やかし半分、精一杯S太を労ったつもりだったが。

「えっ!?何が?」
「えっ?見てなかったの?お母さん達、みんな泣きながら聴いてくれてたんだよ?」
「えっ!?マジで?俺、歌い始めると入り込んで周りが見えなくなるんだよね…」


ヴォーカリストは好き勝手に気まぐれで…それで良い、と思う。歌いたくなった時、存分に叫んで欲しい。そこに本当の音楽がある、とも思う。

そしてS太とは再び音信不通になった。


((おわり))
一緒に演奏してくれて、ありがとう。
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by kenya-guitar | 2014-10-31 12:18 | 演奏日記 | Comments(0)

ママの憂うつ アンコール(4)

〈みなぎる(自)〉①水が、あふれたようにいっぱいに広がる。②広がっていっぱいになる。

いつか見たその笑顔 明日も見せてくれますか
いつも見たい笑顔はどう? 今日も元気にしてますか


曲もクライマックスに差し掛かり、感情が弾けたのも束の間、お母さん達の表情に笑顔が漲る。せっかくこうやって生きてるんだから自信持って…ギターを弾いている私も嬉しかった。S太と私が作った曲、ではあるが、演奏している我々三人の手元を離れて新しいハーモニーを生み出している実感があった。解き放たれた、が故に執着なんてものはないこの一瞬。S太が叫ぶ。

「みんな一緒に歌って!」

La la la la... la la la...La La la la la...

繰り返す短いメロディ。歌いながらリズムに合わせて大きく振るS太の左腕、お母さん達も全員一緒に。ステージから見える風景は、きらきら光る波に見えた。この時間がいつまでも続いてくれたら…とも思うが、一瞬だからこそ美しいんだよな、と自戒してS太とC君を見やる。二人と目が合う。減速するリズムとメロディ。S太は最後手前に大きく溜めを作り、最後の「la…」をたっぷり伸ばした。

「どうもありがとうございました!!」

私が最後のコードをギターで掻き鳴らしている間にS太が感謝の気持ちを伝えると、盛大な拍手が。皆さん、一様に笑顔だった。


((つづく))
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by kenya-guitar | 2014-10-24 11:47 | 演奏日記 | Comments(0)

ママの憂うつ アンコール(3)

〈はち切れる(自)〉いっぱいになって破裂する

心の中 乾いた風が かさぶたを優しく撫でる

「俺「かさぶた」って言葉、すごく好きなんだよね。健也君、よくこんな歌詞書けるよ…すごいよ」

S太に褒められるなら本望だ。はっきり言って、私は歌詞なんて書いた事はなかったからこれが初出だ。作ったとして歌のないインストゥルメンタル音楽、殆どジャズギターしかやってこなかった。

「撫でる、って漢字は「愛撫」の「撫」だぞ。手扁に無い、って書いて…まるで手が無いがごとく「撫でる」みたいなね」
「死ね!このクソエロジジイ!」
「ガッハッハッハ(笑)」

S太の休日前日、仕事が終わった夜遅い時間、私の住むペンギン村の人気のない浜辺の東屋。暗い中で練習した。ヤツが歌って、私はギターを。S太はS太で、二年前に父親を亡くして病気の母親を一人で面倒看て生きなきゃならない三十才の切実な現実。『the rusty moon』も一生懸命練習してくれた上、お母さんに聴かせてくれた。すごく良い曲ですごく悲しい曲だね、と。

ステージ上、リラックスして弾ける様になった瞬間にストロークでギターを掻き鳴らしながら頭に浮かんだのはそんな会話を交わした記憶だった。この曲が解き放つのは幼稚園児のお母さん達だけじゃなくて…そんなリアルに生きるS太も、かもしれないな。そう思えると今この瞬間、この場所で演奏して聴いてもらっている、ピントが合うな、と。間髪入れず、S太が熱く歌い上げる。


あまりうまく言えないけど
好きだよママの笑顔 don't forget your best smile
smile...



間奏、C君のトランペット。解放感溢れるメロディはS太が考えてくれた。はち切れた感情、客席のお母さん達。中空を見上げる方、ハンカチか何かで目頭を押さえる方、人前を憚ってか泣き笑いの方。トランペットが奏でるそのメロディにそれぞれの想いを乗せて。


((つづく))
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by kenya-guitar | 2014-10-15 10:10 | 演奏日記 | Comments(0)

ママの憂うつ アンコール(2)

〈アーティキュレーション(名)〉①発音の明瞭度。歯切れ。②音楽の演奏において,各音の切り方,あるいは次の音との続け方のこと。演奏上,フレーズ内部の分節を明確にする表現手段として重要。レガート・テヌート・スタッカートなど。

ステージ向かって右側、上手に陣取るC君はトランペットを手にしている。私に向かって静かに頷いた。そしてステージ中央、短くマイクチェックを終えたS太も私に目で合図を送る。大丈夫だよ、二人に伝わるように微笑んで返し、私は俯いてギターに集中する。
決められたテンポから逸脱しない様に、丁寧にイントロを爪弾く。例えて言うならば自動操縦モード、いつもの調子でギターを弾けるな、と思えた瞬間にふと目を上げる。客席のお母さん達、目を瞑って聴いてくれている方が何人もいた。とにかく皆さんそれぞれ、この曲に対しての想いがある…短いイントロの合間、強く感じていた。ヴォーカルがそっと入ってくる…。


『ママの憂うつ』歌詞


リハーサルの段階で、ギター伴奏のアーティキュレーションについてS太からつぶさに指示を受けていた。もちろん、C君のトランペットについても、だ。S太は表現する事にすごくナイーヴでいて、すごく厳しい。それはヤツの歌声にダイレクトに表出している。私は譜面に細かくメモしたその強弱を、的確に演奏する様に集中した。再びリラックスして演奏出来る(比較的ではあるが)パートは二回目のサビ、ストローク弾きの部分からだ。

いつか見たその笑顔 今日も見せてくれますか
いつも見たい笑顔はどう? 今日も元気にしてますか


ふと客席を見る。座っている幼稚園児のお母さん達、四十人強いる内の半数以上、涙を流しながらも真っ直ぐ我々に目を向けていた。

((つづく))
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by kenya-guitar | 2014-10-14 12:43 | 演奏日記 | Comments(0)

ママの憂うつ アンコール(1)

〈散発(名・自他)〉①(たまなどが)まばらに出ること。②間をおいて、まばらに起こること。

さっきまで三人で立っていたステージ、違っているのはそこから見える景色、であった。私が再び上がるとパラパラと拍手が散発的に湧いた。
我々のアンコールを期待して居残ってくれた幼稚園児のお母さん達、二十代から三十代だろうか、が四十人強。そしてその周りを園長先生をはじめとして、お世話役的な立場の先生方が取り囲む。皆さん、幼児用の低い学習椅子に座っている。私はステージ中央に立って、S太が使っていたマイクを手にした。なるべく短めに、と心がけながら「ママの憂うつ」を作った経緯を話す。

子供を持つ自分の経験…人に愛されたいと思って生きてきて子供が産まれ、今度は自分が全面的に愛さなければならなくなる女性の葛藤。無条件に子供は母親を受け入れてくれてるはず、だったが子供達が新たな人間関係を形成して、また母親同士の複雑な人間関係が生じる。ぎくしゃくして、うまくいかない。でも良いじゃん、彼、彼女(子供)だって笑顔でいたい。お母さんが笑顔で居てくれたら、それを見て子供も笑顔で居られる。それはみんな同じなんだよ…という気持ちで書いた詞。S太も気持ち良く共作してくれた。

「そんな訳で…他のメンバーを呼びましょう。トランペットのChiba-kun、そしてヴォーカルのretmic!かもぉん!」

ステージに二人がそれぞれ上がると、再び拍手が湧いた。


((つづく))
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by kenya-guitar | 2014-10-13 15:24 | 演奏日記 | Comments(0)


ギタリスト鈴木健也の雑記帳


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