カテゴリ:雑記( 114 )

既視感と未視感の狭間

〈グラデーション(名)〉色調の段階。濃淡の段階的な変化。

小雨降るひんやりした朝、目覚める。さっきまで格闘していた悪夢から解き放たれて、ややぐったりして、ベッド代わりに使うソファから起き上がれないでいた。
鍋で何かを炒めている音が台所から聞こえる。子供を何処ぞまで朝早く送ってから帰宅後、夕飯のカレーを作ってまた何処ぞへ…妻の「明日」のスケジュールを思い出した。昨日会話していたところの「明日」の世界に私はいるんだ、とようやく実感した。妻の得意料理のカレーの匂い、忙しい週末の定番。確かに私は今こうやって日常の中に生きている。死ぬまで続くだろう日常の中に。

さっきまで見ていた悪夢、なんだったっけ、と頭の中を整理する。もうすぐ八年になるが、退院後に身に付いた習性。一時期はガラパゴスにその日の悪夢を綿密にスケッチしてはパソコンに送って収集・観察したが、見る悪夢のグロテスクさが増幅される様になったためにやめた。精神的な病巣を抉り出す目的だったが、下手に触れるとそれすら肥大する。自分の見た悪夢のコレクション、悪趣味に思われるかもしれないが、自分の撮った写真をアルバムに並べて悦に入るのと大差ない。私からすれば、だが。
デパートのエレベーターで八階から五階に行こうとしたが、停止せずに一階で停止。再び五階に行こうとするも、暴走するエレベーターの箱はそのままデパート屋上を突き抜け…吊り下げワイヤーのぶち切れた箱、私一人載せ屋上ぎりぎりの場所で横倒し。あわや落下、のところで私は屋上に何とか降り立つ。昨夜、見た悪夢のワンシーンだ。
呪縛から解き放たれたい、これはどうしようもない習性だと思う。だが、刮目してその病巣を睨めてやらないと…。

ところで、ペンギン村の人工海浜公園はコスプレイヤーのメッカだ。毎週日曜日にはたくさんの若者が集まってのコスプレイベント。それを尻目にジョギングや、サイクリングする人々。骨粗鬆症にならない様に、というのもあるだろう。散歩する年輩の方も多い。
コスプレに興じる若者達と、健康を気遣い運動する人達…それぞれが今を生きているのだが。東京湾の目の前、それぞれが生み出すグラデーション。

「ダメよ~、ダメダメ!」を繰り返すダッチワイフ。世の中を切り取って表現するシュールな感性。その笑いにのめり込む子供達。ええじゃないか踊りは既に始まっているのか…それも錯覚か悪夢の中にいるのか。メビウスの輪に嵌められたリアリティの中で延々とただ生きている。それでも無限に繰り返される台詞が癒しを放つ。「良いじゃ~ないの~。朱美ちゃん」。
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by kenya-guitar | 2014-11-01 12:29 | 雑記 | Comments(0)

「あたたか~い」清涼感

〈渇き(名)〉のどがかわくこと。

ペンギン村を分けている水路、橋の上から水面をぼんやり眺めている。気持ち良い陽気、平日の日中、欄干に寄り掛かりながら。鯉ほどの大きさの鯔がぬっとして泳ぐ様をただ観ていた。鯔背、って言うが、どうして江戸っ子はこんな魚に思いを馳せたか。そんなに勇ましくも見えないギャップが不思議だ。

「あんな魚、ギャング針ですぐに引っかかりますよ」

釣り好きな友人曰く。それほど、のろまな魚だそうで…鯔墨、カラスミは珍味ではあるが、東京湾の鯔から採れた卵巣は臭くて使い物にならない、と。以前、新聞で知った。小骨が多いため、泥を吸う。水質がものを言うらしい。カラスミ、ボッタルガ、って言うのもすかすかした間抜けなサウンドだ。美味いけど…。

水路はそのまま海へ、東京湾が一望出来るペンギン村の浜辺から世界と繋がっている。三年前の大震災直後、この水路がものすごい勢いで逆流して、しばらくしてものすごい勢いで海へ流れているのを子供たちと眺めた記憶がある。この街で液状化現象が起こっていた最中の出来事。
「コップの水を川に流したところで、再び同じ水をコップに戻す事ができますか?」神道の考え方だそうだ。とにかく川は流れて海へ落ち、世界と繋がっている。ガンジス河は給水も排水も水葬だっていっしょくた、で…この街に住んでいると、その概念がセパレートされて水が我々を潤し、健康で衛生的、かつ文化的な生活を享受している現実すら忘れる。

有り難み…当たり前な事が当たり前に頂ける貴重さ。蛇口ひねりゃ、水が流れる。



ところで話は変わるが先日、ペンギン村の外れにある静かなショッピングセンターで十人くらいの方にギターを教えていた。休憩中、自動販売機に¥110-を入れて「あたたか~い」お茶のボタンを押した。

ガダンッ…!!

大仰なデカい音を立てながら、出てきたのはデカビタC。炭酸飲料水オロナミンCのデカいヤツ。「んっ!?」ただでさえパラノイアな私は騙されているのか、と自分をまず疑う…自分が幻覚を見ているんじゃないか、日常的に思う。
ギョッとして恐る恐る手に取ってみると…「あたたか~い」デカビタC、だった。

ははぁ~ん、手に取って思わずゲラゲラ笑いながら、合点する。電話した。自動販売機管理会社のフリーダイアルにガラパゴスから。笑ってしまい苦情も苦情にはならない。ただ単に自動販売機に飲料水を補充する際、間違えて入れたのだった。さすがに飲む気にもならないが。

二十分後、返金にやって来た30才くらいの営業マンはびくびくした表情。律義に¥110-を私に…私は私で「ぬる~い」デカビタCを営業マンに返す。

昔、炭酸飲料水のTVCMで砂漠のど真ん中にある自動販売機の前で猛烈な渇きを覚えた若い女が「つめた~い」炭酸飲料水をごくごく飲み干す、ってのがあった。バブル期、だったと思う。
砂漠の自動販売機で、そんな補充の間違いがあったらどうするのか…三日後くらいに駱駝に乗ってターバンを巻いた営業マンが¥110-を握ってやって来る図を勝手にイメージした。それ以前にガラパゴスもスマホも通じないかもしれない。もしくは脱水症状の内に、無理矢理こじ開けようと血だらけになった自動販売機の前で爪が剥がれた死体として転がっているかな、とか…だったら「あたたか~い」炭酸飲料水を飲むよな、とか。昼夜の寒暖差が激しいはずだし。サハラ砂漠のど真ん中に置き去りにされた話がゴルゴ13にあって、狐みたいな哺乳動物をほぼ手づかみで捕獲してナイフで首を掻き切り生き血をすすってたな、とか。

そんな有り難みの中で、実は生かされているのかな、と思う。「あたたか~い」気持ちの中で…確かに清涼感を感じた。エスプリではない。
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by kenya-guitar | 2014-10-30 22:51 | 雑記 | Comments(0)

ペンギン村の夕陽

〈沈黙(名・自)〉だまりこむこと。

何合目付近、だろうか。末広がりの富士山に寄り添う様にして、半分以上欠けた夕陽がゆっくり沈んでいく。

様々な赤に変色しては、富士の稜線をくっきりと濃いグレーに浮かび上がらせ続けている。その鮮烈な色彩はゆっくりと小さな光源へと収束しているのに気付く。そう気付けば気付く程、今この一瞬がいとおしくなり。一編のフィルムに魅せられた様に、吸い寄せられている自分に再び気付き、拒みながら視界を広げる。

今こうやってペンギン村の浜辺に私は立ち尽くしている。隣には小五の息子が…キャッチボールを終えた後の時間。

空を見上げると頭上は透き通った青だ。でもその周りを白けた空が、そして水平線に沿って薄い紫の帯が伸びているのを見ると、夜の静寂(しじま)が降り立つのが予期出来る。それも褪色しながら。よく見てみると頭上の青も暗さを増している。夜はどこから来るんだろうか。その深い静寂は、今こうやって生きている喧騒の中に点在する沈黙とは真逆のサウンドだ。

隣にいる息子は持っているバットで不思議と素振りを始めた。砂浜の上、不安定な足元でも黙々と。微笑ましい…なんとなく、私は頬が緩んだ。周りを見渡すとカメラを構えた方々がぱらぱらと。皆さんそれぞれ、その夕陽をただ眺めていた。ご年輩の夫婦も目についた。

シャッターを切る瞬間、ってどんなタイミングなんだろうか…ふとつまらない事を考えた。自分の感性に正直な瞬間、なんだと思う。それじゃあ、良い写真を撮るには…自分の感性、磨くしかないよな。自分を知って、自分で考えて。
最近よく読む、あるカメラマンの方のblogを思い出した。書いている文章全体に世界中の長閑な風景が広がって見える。

その人にしか持ち得ないフィルターが大事、なんだと思う。決まりきったシャッターチャンスなんてものは無い…。
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by kenya-guitar | 2014-10-30 14:01 | 雑記 | Comments(0)

落ち葉を踏みしめて

〈夷狄(名)〉中国の周辺地域に存在する異民族。

街路樹のイチョウからぽろぽろこぼれ落ちる銀杏の実、特有の臭いも歩道から消えた秋。9:30頃だったか、珍しく流れる空気に清冽さを感じつつ自転車を走らせていた。ペンギン村から少し離れた古い町にあるスタジオまでギターを教えに行く途中。

ダウン症の子供が二人。高校生くらいか、の男女。素直な笑顔、実直な挨拶を交わし、相手を思いやりながら横断歩道を注意深く渡る。健気に生きる人間らしい人間関係。
「ダウン症の子達は天使だ、ってよく言うよね」お世話になってる女性が話していた。その話、妻も会話の中で呟いた。私自身、初めて知った言葉、だった。

可視化される人間関係、ネット空間で自分が吊るされる恐怖に怯えながら生きる社会。見えるモノの中でしか生きてないから、見えないモノを直視しようとしなくなる。人間の能力は数値化されて、それも極限まで細密化され二元的な価値しか見えなくなる。敵か味方か…そこかしこのヘイトスピーチの応酬に辟易して、誰もNOと言えず、最終的に人間の魂も塵ほどの価値がなくなる不安。全て簡単にワンクリックすれば済む話。人間の魂、なんて見えないから。


「健也ぁ~…手塚治虫『火の鳥』のテーマ、知ってるかあ?ガッハッハッハ(笑)」
大学時代の尊敬する先輩から訊かれた。

そもそも人間、群れては同じ営みを繰り返しては凝り固まって暴発し、再び散らばって。テクノロジーの進化に伴って、再び綿密に凝集するシステムが構築され、の繰り返し。いずれは爆ぜる…悲しいけれど。

自分自身、父親の田舎が岩手の古い農家。千年近く前に征夷大将軍に焼き払われた古い町。
そういう古い町の方々とお話していてよく思うのは、仲間同士お互いの父母、祖父母、その前の代までの事をよく覚えている。お互いのジェノグラム(家系図)が共通認識としてある。それはそれで結束を生むだろうし、息苦しくなる人間もいるだろう。「田舎は残酷ですよ。都会って本当に素晴らしい」そう呟いた友人は青森からペンギン村に移り住んで家族を持っている。

そして、新しい街へ…寄り集まる。さりとてこのペンギン村だって40年経つと様々な問題を抱えている。例えば、高齢者ばかり、孤独死なんて日常だ。平日の日中に歩かないと見えない景色。私が思春期を過ごした街は東京湾沿いの埋め立て新興住宅地だった。ペンギン村の空気と似ている。

「健也、世の中で一番怖いモノはなんだと思う?」
私が三歳くらい、岩手の田舎に一ヶ月預けられた時、祖母に訊かれた。私はオバケとか、ドロボウとか、ヒトゴロシとか…そう答えたと思う。祖母は
「健也、世の中で一番怖いモノはね…人間なんだよ」
人間はお化けにも、泥棒にも人殺しにもなる。私はポカンと口を開けていた。

そんな祖母も既にこの世にいない。この世に仏の世界を、そう願って作られた村。兄弟喧嘩に巻き込まれ、権力から夷狄扱いされ…そして焼き払われた村、千年近く前に。
それでも、この世界の片隅で静かに生きていかなきゃならない。その智慧だけは残されている。
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by kenya-guitar | 2014-10-29 12:45 | 雑記 | Comments(0)

カフェ…サンカーラ…

〈向日葵(名)〉(植)庭に植える大形の草。夏、くきの頂上に大形で黄色い花をつける。たねから油をとる。ひまわりそう。

今週の何曜日だろうか。仕事がようやく終わった晩秋、夕時。いつもの様に項垂れていた近所のコンビニの前で、缶ビールを片手に聞こえてきたメロディ。顔を上げて目を向けた。

「ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを全部」
by秦基博『ひまわりの約束』

五人くらいか、自転車に乗った近所の中学生、その中の一人が自然体な声でのびのび歌っている。
声変わりも未熟なその時期に、気付き始めたリアル。それでも忘れちゃいけない想い、が入り混じった即席な音楽にじわり、こみ上げるものがあった。青い植物を思わせる香り。私の人生を振り返ってみても…。


一応は所帯持ちの私も、世捨て人ながらなんとか日々生活してはいる。支えてくださる方も多い。家族以外でも。
その内の一人で千葉の繁華街にあるロックBARのママさん、が営むインド料理屋で出前のアルバイトをさせて頂いたのは昨夜。ご商売を始めて三十年くらいなのか、千葉の旧赤線地帯の裏手で堅実に時間を刻んでいる。

インド料理屋の屋号である「サンカーラ」…昔読んだ岩波新書の仏教の本に出てたけど、意味を忘れた。仕事中に私のガラパゴス(携帯)で調べてみた。ジャイナ教から始まる思想、パーリ語でサンカーラ。サンスクリット語では?
全ての生物は輪廻して転生する、そんな世界観を前提に、前世を含めた因縁に起因する現世の苦しみ、と解釈した。全ての人はサンカーラの中で生きている、みたいな…ある種の諦めと言うか、開き直りと言うか。その世界観が仏教へ繋がり、インドのみならず私が住む国にもこうやって。私の好きな或る作家が「仏教の宗派が、まるで音楽のジャンルの様に派生した」と表現したが、その語源、とも言える。

お得意様の大学附属病院はもちろん、ソープランド街もあり。昨夜はソープランド街裏手にある一応オートロック式アパートまで風俗嬢とおぼしき女性にカレーを届け、附属病院の手術部まで手術終わった後らしき女医にカレーを届け…インド料理屋「サンカーラ」で働いているのに、お客さんのサンカーラを感じ、その循環で生かされている自分のサンカーラを感じた。

この苦役を終えた後、次は何に産まれ変わるのだろう。昔「私は貝になりたい」ってモノクロTVドラマが再放送されていた。たとえ貝に産まれ変わってみても、無邪気な子供に熊手使って潮干狩りで取られてから、そのお母さんにボンゴレビアンコか味噌汁にされて食されて体内を経て、厠で潔く放出された私(貝としての)。また何かに産まれ変わるのか…それとて定かではない。
そんな事を、台風が接近している風景をボォっと眺めながらビールを飲んで考えていたら、文章にして人様に読んで頂きたくなった。もちろん、冒頭の中学生が自転車に乗って口ずさんでいたメロディの記憶、が瞬間芸術としてキラキラ輝いて聴こえた…それをBGMにして読んで頂きたい。

個人的にはこれと似た内容のメールを送った太郎、ハープのSさんに突き動かされて書かずにいられなくなったが。最近、お知り合いになれた色々な方のサンカーラにも…有難う、と伝えたい。
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by kenya-guitar | 2014-10-14 01:44 | 雑記 | Comments(0)

夏の景色

〈慳貪(名・形動)〉①物惜しみすること。けちで欲深いこと。また、そのさま。②思いやりのないこと。じゃけんなこと。また、そのさま。


精神安定剤を服用して、ほぼ毎日自宅でぐったり昼を過ごしていたここ数年に比べて、今年の夏はとりわけ暑く感じた。
断薬してほぼ一年、息子の所属する少年野球チームの平日自主トレーニングに週二日は付き合っていた。五月中旬から八月いっぱいまで。かと言って、私が野球を教えられる訳もなく、少年達とフリスビーや体幹トレーニング、ストレッチ、ジョギングをしたり、無料開放プールに連れて行ったり、と、殆ど私一人での作業。彼らの運動能力を向上させるミッションを果たさなければならない。それは取りも直さず、彼らの土日での活躍、勝敗に結びつく。とりわけスポーツマンでもない私、しかもチームスポーツの経験もない…今現在の自分自身の生き方にそれが如実に表れている、とも思う。悩みながら携わり、正直な話、疲れてもいた。

お盆も終わりの頃、妻の母が静かに眠る霊園へ家族で墓参りに。花を手向け、線香を上げて…いつもの様に、一通り終えた後で車に戻る。その途中、墓石業者の作業場すぐ横の掲示板に目が止まる。

『不慳貪』

毛筆で縦書きされた横に「真言宗豊山派」とあった。立ち止まる。腕組みして直立、しばしその三文字に見入っていた。書の達人、弘法大師、空海。「心堅くして、貪るべからず」と読めた。「諸々の慳貪の者には布施の心を」と法華経にもある…。

ふと我に帰る。集中力も途切れたのだろう。パーキンソン症状ではないが、身体全体、頭のてっぺんから爪先までが、がちがちに硬直させられた錯覚が不思議とあった。独特なその字体で書かれたシンプルな言葉の持っている吸引力、とでも言うのか。それとも目の前に突き付けられた命題に私自身、足掻きが取れない状況に陥っていたのだろうか。

そして、その緊張感が解けた時に何となくふわり開放された気分を味わった。
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by kenya-guitar | 2014-09-11 11:16 | 雑記 | Comments(0)

ご無沙汰してます

〈御無沙汰(名・自)〉訪問・たよりをしないことのていねい語。

一番最後の書き込みが昨年の11月末、なので丸々五ヶ月自分のblogに手を着けていなかった事になる。期待してこのblogに来てくれていた方々、申し訳ありませんでした。

何をしていたか、と言われると普段通りにギター講師の仕事をして家事をして生きていた、としか言いようがないのだが、その間、決定的に以前と違い欠如していたのは音楽的な意欲だ。脱け殻の様だった時間。簡単に話すと、昨年の三月末お世話になっていた知人が亡くなってからthe namako grooveの活動もうやむやの内に収束し…音楽する意欲が自分の中で急速に失せた。それと同時に繁華街にある様なミュージックプレイスに足を伸ばす数も減り。以前からの持病、統合失調症の陰性症状期に再び突入か、とも思ったがどうもそうでもなさそうで。自分の中で、と言っても私の悪癖でうじうじ色々考えては忘れ、の繰り返しの中で、ギターを弾く楽しみを置き去りにしていたと思う。

と、知人の死から一年経過したある日、その知人の好きな音楽をステレオで流して聴いてみた。もちろん、私も好きな音楽Carole KingとJames Taylor、ふと沸き上がる衝動、思い立ち、知人の形見のフォークギターを久々に手に取りコード進行を一心不乱に追ってみた。次の日、部屋が静寂に包まれた午後の時間にもう一度ギターを手に取って、今度は歌詞を追って歌いながら弾いてみると二人でギターを弾いて笑い話をした楽しかった時間がじんわりと甦ってきた。音楽、淡い色の記憶、戻れない時間…。

音楽療法、ではないのだが、今はそれらの曲を弾いて歌って…知人と二人でいた記憶に寄り添っているのが私にとっては心地良い。
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by kenya-guitar | 2013-05-01 16:02 | 雑記 | Comments(0)

僕は深夜覚醒するために朝起きる

〈朦朧(形動)〉①ものの形がはっきり見えないようす。おぼろげなようす。②とりとめがなくて、ふたしかなようす。あいまい。③あやしげで信用できないようす。

朦朧としながらも、意識に上っては消える異物に私は必死に抗っている。異物、とは具体的に説明出来ないけれども、この世で私が感じた妬み、僻み、嫉み、恨み、殺意とあらゆる悪意をぐちゃぐちゃになるまで捏ねて圧力鍋に炊き出し火に掛ける。あらゆる色の絵の具を混ぜ合わせた様な色をしたそれに熱を加えて蒸気で吹き出してくる様なものだろう、とは、それを眼前に硬直する自分の身体から朧気ながら理解出来た。どす黒いタールに似た泥沼の中で必死にもがいたがどうにもならない。ふと首に締め付けられる圧迫感があった。息が出来ない。苦しい…叫び声を上げようとするけれども向こう側には届かない。一向に声にならないのだ。ならば、と私は身体をどうにか揺さぶろうとするがそれすら叶わない。昔、覚醒剤依存だった男から警察署の裏で拘束服を着せられて夜中に警官からホースで水を浴びせられ続けた話を聞いたが、今思えばそれに似た感情を抱いていたかもしれない。寒い、寒い、苦しい…寒い。否、俺は今、実際に拘束服を着せられてホースで水を浴びせられているのだ。冷たい、寒い、苦しい…動けない。でも、俺は何もやっていないのに。顔を冷たい靴底で踏みにじられている様な感情が重く残る。本当に!本当に何もやっていない。やっていない。やっていない。やっていない…やっていない…やっていない…。

眼を開くと、真っ暗だった。冷たく静まり返った真夜中、私の寝室。道理で寒い訳だ、物憂げに足で布団を剥ぐと私の着ている寝間着はびっしょり濡れているのが分かる。汗だった。12月になろうという真夜中に私は床の中で多量の汗をかいていた。さっきまで見ていた夢で覚えた嫌な感情が身体の隅々まで沈殿していくような感覚があったが、汗に濡れた寝間着がその身体から気化熱を奪っていく感触がそれを癒してくれる。さっきまで味わっていた感情はあくまで夢の中での話だ。寒い、ただ汗をかいて冷たいこの部屋に横たわっているのが私の生きている現実なのだ。自分にそう言い聞かせながら暫く寒さの中にいた。
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by kenya-guitar | 2012-11-30 15:50 | 雑記 | Comments(0)

蛙と田んぼ

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〈寂寥(名・形動)〉心が満たされず、ものさびしいようす。

写真は二年前のこの時期に送られてきた。亡くなった知人が、稲刈り後の秋の田んぼを眺めていたところに一匹の青蛙が。メモしておけば良かった、と後悔しているのだがそこに一句添えられていた。それに対して私が感想を送って返したのをうっすら覚えている。
当時、五十代後半に差し掛かっていた知人の周りに病で伏せている友人、亡くなった友人がいた。人生の収穫期を終えようとする中、枯れ草色に寂寥とした田んぼに残された一匹の痩せた青蛙。まるで青々と稲が育っていた夏の暑い季節、身を焦がした熱い季節を思い出しながら一人で感傷に浸っているかの様だ。そんな五十代の男の秋のロンリネス、ブルースを強烈に感じざるを得なかった。そこまで感じてくれたか、ありがとう、受話器の向こう側から聞こえてくる知人の声は照れくさそうだった。
ありがとう、ありがとう、ありがとう…いつまでも知人の声がフィードバックして聞こえてくる錯覚。考えると今日はその知人の月命日だった。あれから七ヶ月…ぽっかり空いた気持ちの隙間を埋める作業に真摯に取り組め、涅槃から私に呼び掛けているのかもしれない。
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by kenya-guitar | 2012-10-18 08:13 | 雑記 | Comments(0)

サイン波

〈禍福(名)〉わざわいと幸福。

淀んだ曇り空がずっしりと肩にのし掛かる様な水曜日の午後、自宅から少し離れた駐車場に車を取りに歩いていた。爪先から清々しく沸き上がる様なうきうき感はまるで無い。メランコリーだ。路地を曲がった角の家の軒先にオレンジ色の花。金木犀だった。すっかり秋めいたこの季節の高揚感を演出するかの様に、鼻腔に刺さる派手な香りが漂ってはいたが、足を止めていつまでも香りを浴びていたい、そんな気分にもなれずに素通りする。
「禍福、あざなえる縄の如し」と言うが、私の場合には脳内分泌物の流れでそれが如実に現れる。ドーパミンが欠乏している時期には鬱、正常に分泌されている時にはやや躁。上下するサイン波の様にそれが現れるが、定期的でもなかった。だがしかし、鬱ばかりがずっと続く訳ではない、と最近理解してきた。いつかは気分が上がる日がやって来るんだ、ふと改めて自分に言い聞かせた。
ぽつぽつ、と落ちてくる雨がアスファルトに黒点を残していく。ムクドリが数羽、無邪気な鳴き声をあげながら向こうへと羽ばたいていった。
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by kenya-guitar | 2012-10-17 23:09 | 雑記 | Comments(0)


ギタリスト鈴木健也の雑記帳


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